思うこと

フィジーに4ヶ月暮らしてわかったこと

 

こんにちは、幸せ自由人育成 ライフコーチのnori(@noriyukiyamada)です。

今日は「ぼーっとする時間は悪いこと?」についてお話しします。

僕が世界一周を始めた記念すべき一カ国目は奥さんと初めて出会ったフィジーという国を選びました。

世界幸福度ランキングで1位を取り続けているフィジーという国をご存じですか?

雰囲気が沖縄の人と似ていて「ウチナータイム」ならぬ「フィジータイム」というのが存在します(笑)

これは想像通り時間にゆるいというイメージなんですが、この感覚こそ世界幸福度ランキング1位を取り続けている一つの要素だと僕は思っています。

ゆったりとしたテンポで自分の時間を楽しんでいる。

日本人は他の国と比べて時間に厳しい印象があります。

時間をきっちり守ることはもちろんですが、移動時間やスキマ時間など空いた時間に何か効率いい時間の使い方をすると褒められますよね。

これこそ時間に追われる日本人を象徴しているように感じます。

語学留学でフィジーで4ヶ月暮らしたとき、

フィジー人の人柄をみると時間のゆとり、時間の使い方が心のゆとりを生み出して幸福度に関係していると感じることがたくさんありました。

日本人はその真逆を生きているように感じます。

友達にもスケジュール帳を真っ黒になっていることを自慢げに話す人もいたり、

分刻みで行動を管理している人は能力が高いと思われていたり

忙しいことが勲章みたいな忙しさ中毒のような状態になってるんじゃないかなと思ってしまいます。(主観的な意見にはなりますが・・・)

なんでそんなに忙しくしなくてはいけないのか?

どうしてボーッとする事が勿体無いと思うようになってしまっているのか?

のんびり幸せに生きている人が多いフィジーで暮らしてみてすごく疑問に思ったことがあります。

心と身体の状態には「時間の捉え方、時間の使い方」が大きく関わっています。

合理的に、効率的に・・・ばかりを考えてしまうと余裕がなくなってしまいます。

そればかり考えて心の余裕を失ってしまうと、伸び切ったゴムのようになっていつかブッツンと切れてしまいます。

もう無理です・・・と心が言っているのに、その声に耳を傾けようとせず、頑張り続けていると

気づかないうちに心と身体のバランスが崩れてしまうこと、それがうつ病なのかもしれません。

疲れ切った心を癒すためには「休む」ことが必要のはずですが、

休んでいる自分はダメな人間だ・・・はやく治さなければ迷惑になる・・・と罪悪感を持ちながら休んでも心は絶対に回復しません。

その時に考えてほしいのです。

なんのために、誰のために頑張らなくてはいけないのか?

なんでボーッと休む時間が無駄だと思ってしまうのか?

空を見上げて空の広さ、青の綺麗さ雲の形を楽しむ余裕が持てないほど、急いで仕事をしなければならないんでしょうか?

どうして、ゆっくりとご飯を楽しむ時間さえ取れずに働かなくてはいけないのでしょうか?

心と身体のバランスを崩してまで、そんなに働かなくていいはずです。

仕事とプライベートのバランス、自分にとって一番大切なもの、心が満たされる瞬間はどんな時なのか?

せかせか時間に追われていては自分と向き合う時間も取ることは難しいはずです。

人生で幸せを感じる方法は、自分のために贅沢に時間を使うこと、たまには時間を最大限に利用しようと思わずに

時間の贅沢づかいをしてみてください♪

それが幸せの時間持ちになる一歩かもしれません。